お菓子にまつわる黒歴史 ①
お菓子作り。
それは、可愛らしい女の子がキラキラとしながら作業して、完成したものはお店で出てくるような光を放ち、ひとくち食べたらほっぺたが落ちるという言葉以外に表現などできない。
そんな大いなる誤解が、あった。
私が子供の頃。
今思うと、頭がイタイ以外の表現などない…。
そんな、お菓子にまつわる私の黒歴史。
初めてのお菓子作りは、小学校3〜4年の2月。
バレンタインのチョコレートだった。
別に、当時好きな男の子がいたわけでもない。
世の中のバレンタインというキラキラした出来事に、のっかりたいだけだった。
私も、そんな女の子になりたいと。
親にねだって買ってもらった、1枚の板チョコ。
それを溶かして型に入れる。たったそれだけの、お菓子作り。だけど幼い私は、それだけでワクワクした。
まず、お菓子作りたるもの、レシピを見ながら作ってはいけない。
何も見ないで作るワタシ、カッコいい!
考え違いも甚だしい。
だけど、本気でそう思っていた私。
まず、「チョコレートを湯煎で溶かす」の、「湯煎」の意味がわからなかった。
“湯”なのだから、お湯かければ良いのであろうと、鍋にチョコレートを1枚そのまま割らずに入れ、お湯をかけてみた。
…溶けない。
次にそれを直火へ。
ぼこっ。ぼこっ。
チョコレートは、大きな気泡を発生させながら、真っ黒になって、溶けた。
チョコレートは、直火にかけてはいけない。
高い温度で溶かすと、低い温度でしか固まらず、ドロドロになるからだ。
カカオ脂には、そういう性質がある。
こういった性質を持つ脂は、医薬品の坐薬の基剤に応用されている。(カカオ脂ではないけどね)
私は、大学の薬剤学の授業でこれを習い、小学校の頃これを知っていれば…と、タイムマシンがあれば小学校の頃に戻りチョコレートは直火にかけるなと教えたのに、と、大変悔やんだ。
ま、そんなことしなくても、考えればわかりそうな事だったが。
ちゃんとお菓子の本を読むと書いてあったからだ。
まずはよく読めと、言いたい。
当然、チョコレート+お湯なので、分離する。
この、分離というものもよくわかっていなかった。
性質が違うものを混ぜるとどうなるか。
混ざり合わずに分離するものもある。
もはや、お菓子作りなどというキラキラ感は消え去り、理科の実験の様相を呈していた。
鍋の中のお湯とチョコレートを、スプーンでぐるぐる混ぜていると、ふとここにミルクを足したら美味しいのでは、という閃きが。
冷蔵庫を見たら、牛乳はない。
と、コーヒー用のクリープが目に入った。
よし、コレだ。
サラサラと、鍋の中にその白い粉を入れた。
何故か溶けなかった。
ダマになった。
沈むことさえなかった。
ダマが、浮いていた。
ここら辺でやっと、⁇という疑問が発生する。だが、突き進むしかなかったのだ。
型はないので、お弁当用のアルミカップ。
そこに、乱雑に流し込む。
冷蔵庫へIN。
任務終了。
ふー、と、一息ついた。
チョコレート、固まるかな。
気になって気になって気になって。
冷蔵庫をちょいちょい開ける。
開ける。
あける。
固まる気配が、なかった。まったく。
なので、そのまま冷凍庫へIN!!
その日はそこで終わった。
疲れ果てた私は、その日はよく寝られたと思う。
一仕事終えた感があった。
翌日、ワクワクしながら冷凍庫を開けると…
水分とチョコレートが完全に分離し、上の端っこのほうだけ、ちょびっとシャリっとしている。
クリープのダマは、チョコレートと少し混ざり茶色のつぶつぶ、ダマに。
チョコレートは固まっておらず。
見た感じ、美味しそうとかそういう感想と無縁のものだった。
それでも、初めてのお菓子作りに満足しきってきた私は、父にそのチョコレートをあげた。
バレンタインだものね。男の人に、あげないと。
父は、ありがとう!と喜んでくれた。
そして、こう言った。
「お父さん、お腹いっぱいだからあとで食べるね。」と。
私は全く気にせず、あーお腹いっぱいなんだなと、2階の自分の部屋に行った。
そのあと何気なく私が1階に降りてみると、父と母が喧嘩をしていた。
母「せっかくくま子が作ったお菓子なんだから、目の前で食べてあげればいいじゃない!」
父「お前はこれが食えるのか?!」
母「私は無理よ!」
・・・・。
私があげたチョコレートを、なんと押し付けあっているではないか!!
その衝撃たるや!
あー、これはダメなやつなんだ!と、悟った瞬間だった。この時初めて、そう思った。
私の中に失敗したという感覚が、なかったのだ。
そのあと、そのチョコレートがどうなったか記憶にない。
おそらく、誰の口にも入らず、チョコレートとしての役目を終えたのではないかと思う。
お菓子にまつわる、私の黒歴史でした。